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昭和五十六年九月六日 朝の御理解
X御理解 第十三節 神は向う倍力の徳を授ける。
倍力の徳が受けられるという神の向い方というのは、どういう向い方であろうか。ただ信心を致しております。長年頂いておる信心と言うただけではならないことが、ならお徳を受けたという人は、もうごく稀であり少ないのである。
なら金光大神が嘘を言うておられるかというと、嘘を言うておられるとは思われない。そこでどういう向い方をさせて頂いたら、その倍力の徳が受けられるか。本気でそこのところを思うて見なければならないと思います。ただ神様へ一生懸命に向こうておりますと言うただけでは倍力の徳が受けられない。
Gこれは私が福岡でのまだ修行中の時分に、まあいよいよ難儀の時代でしたが。福岡教会に朝参りさせい頂いとりましだが。あるお参りの時に、まあその当時私は御神前に出ますと、もうすぐあの金光様、三代金光様、四神様、教祖様それに九州の御神徳家として言われておった桂先生とか石橋先生あたり、お願いをするとすぐその霊様なり神様のお声を頂きよった。お知らせを頂きよった時代です。
Gある時のお参りの御祈念に時に、お前のような幸なものはないぞと神様が仰る。考えてみると本当に信心も出来ん、そりゃまあ難儀といゃあこれ以上の難儀はなかろうという難儀をしとるのだけれども。ただまあ神様が嘘にでもいろんなお知らせを下さる。そんな時代があったんです、ね。
Gやっぱり生活なりあいのことだけはおかげ頂かんならんから、まあどんな御用でもいいから、家族食べて行けれるだけの収入は得なければなりません。だからもう外は充分神様の御用にも使いまわし頂きましょうから、どんな御用でも良いからと言うてお願いさせて頂いたら。そんなら今日は神が教えてやる所へ行けといわれるから、神様が左右と言われるとおりに参りましたら、大きな炭田工場の前に出ました。
Gちょうど夏でした。中にはいらせて頂きましたら閑散としとりますもん。一番奥まったところにお住まいがあって、行きましたら、今はもう夏のことですから休業状態同様ですとこう言われる。そこに使うてもらおうという。けれども私はね、神様から頂いてどこどこにこう行ったらこういう炭田工場の前に出た時です。それが例えば嘘であっても神様からお知らせ頂くということが有難うしてたまりませんでした。
G勿論だからそこで、そこで私はまた思うたことは、私が今就職をするとか仕事をするということは神様がいよいよお嫌いだなあと思うた。そういう時分でした。お前のような幸な者はおらんと。本当に私のような、云うなら不徳者、信心も出けていない者に神様が直接お知らせを下さるなんて、もうそれこそ夢にも思わなかったことでしたから。私のような幸者はありませんと言うて、神様にお礼申さして頂いたら神様からね。お前の徳は貸しものぢゃと仰った。頂いとるぢゃない。神がちょっと貸してるのだとこう仰る。頂いている。それは思いました。そうでしょう、私くらいな昔の徳を受けられた先生方の話にはよく神様のお知らせ等ということを聞きましたけれども。私くらいな者が神様からこうやってお知らせを頂くなんて私が頂いたと成程思いません。
G確かに借り物に違いありませんと言うて、あの申しました途端に神様が一生借り通せばその方のもんぢゃというお声を頂いた。一生借り通せば、私はだから油断は出けん。いつ神様からお取り上げになるやら分からない。神様からの借り物。それが云うならば、今合楽教会に人が助かっておる基なんです。
『只今の御祈念中に頂きました事でしたけれども、あのテレビのコマーシャルで嬉野温泉のね大正屋というのが宣伝してますでしょう。あの大正屋の宣伝を頂くんです神耳に。どういう事だろうかと私は思わせて頂いたんですけれども。大正ということは大きく正しいとある。もう大きな信心と言うたらね、金光教の信心くらい大きな信心はないです。正しいと言うたら金光教の信心くらい正しい信心はないです。』
いわゆる十全の信心なんです。前代未聞です。開闢以来です。そういう内容を持って、最近教祖様のみ教えを次々とこう発表されておりますその中に、世界を包みまわせれる内容を持っておるのが金光教だと思うです。
%1ところが、昨日、今日はあのここの築水の青年会の大会に、仙台ですかね。からの結城というお医者さんですけれども先生、大変有名なお道の信心でも大変熱心なお方だそうですが。結城という先生がお話に来て下さって。せっかく合楽教会に行くのだから合楽の信心をまず少し知りたいというので、昨日壮年会ということを何かで知っておられたようでしたから。その壮年会に参加したいと言うて昨日、あの一緒に壮年会を皆さんの信心を聞くと同時に先生のお話もまあ頂かせて頂いたわけですけれども。
%1本当に百年祭を目指して、いろいろなその運動が起こって百年祭を目指して様々な行事が行なわれて百年祭百年祭と言うておるにも関わらず実際は現在の金光教は衰微の一途を辿っているというお話を聞きました。ところがそれに反して合楽教会ではね、年々歳々こう倍増に倍増しておるその事実そうなんですがという。何かが合楽教会にはあるだろう、ね。皆さん何があると思うですか。
%1今日の御理解で言うと、云うならばね、神は向う倍力の徳を授けるという。神に向う、その向い方が絶対のものであり、間違いのないものである。だからだと思うです、ね。
%1先生のお書きになった御本の中に、昨日これ頂いたんですけれども。おかげを頂くこつとあります。私は早速今、この頃こうして目が悪いから、まあ二、三頁読ませて頂いたんですけれども、素晴らしい。本当におかげ頂きたいと思うならいっぺんに飛びつこうごたる。
%1そして御自身がおかげを受けておられる。はあこういう信者さんが全国の教会に一人づつでもおられたら教団おもいよいよ大発展するであろうにと。昨日お話を頂き頂き思うた事でした、ね。
%1だから頂く、おかげを頂くこつということのまあ目次の所だけちょっと読ませて、読んで聞かせてもらったんですけれども。どの一言でもそうどころぢゃない。そうだと、もう本当に魅力のあるお言葉が書いてございます。今日は楽しみですね。とにかく神様に喜んで頂きたい。せっかく信心さしてもらうなら神様に喜んで頂くような信心という。先生の信心の発願の元というのがそこにある所に、私はもう本当に傾倒しました。
%1私はここで、お結界奉仕を、ですから講師の先生方が見えてもお話をいつも頂かないので。けれどもこの先生の話は頂こうという気になりました。そして昨日の話をほんの僅かでしたけども聞かせて頂く中に。この先生のお話は、いわば頂く事が楽しみになりました。いわゆるおかげを頂くこつを教えてくださるのです。これも自分の教祖のみ教えと御自身の体験を通してお話下さるのです。
私は今日の、云うなら向かう倍力の徳を授けると仰せられるが、合楽では日々です、お徳を頂くこつを皆さんに聞いて頂いとるように思います。まあ頂く事は大それたことか知れませんけれども、神様が貸して下さる。その気になれば、ね。それを大事に大事に頂き続けていけばその方のもんぢゃと仰るのですから。あの世にも持って行けば、この世にも残しておけれるということにもなりましょう。
信心はどんなにおかげを頂いても油断はなりません、いつ神様から。教祖様が教えられたそうでございますけれども。この方とてもいつ神様からお暇が出るやら分らん。まあ言うならば戦々恐々という言葉では当たりませんけれども。それこそ神の中を分けて通られるような実感がね、いつもおありになったであろうとこう思うのです。私もそれを実感します。
%2昨日、行橋の田中という方から電話が掛かってきた。何ヶ月か前に何回か、大変な問題で、お参りをして来ておかげを受けた方です。その方から電話が掛かってきて、お参りしょうと、遠いですから。そしてとにかく交通の便が悪い所んなですね。行橋という所は。一日がかりで参ってこなん、同じ九州でも。
%2それでも毎日こちらで頂いておったテープを毎日お商売に出る前に頂く。今日は忙しかけんでと思うてから頂いて行かん日は商いが少ない。けれども毎日頂くから暗誦する程しの御理解だけれども、あの頂いて行った時には必ずおかげ頂く。というようなことをです、主人が感じてきましたのでしょう。お前が合楽合楽ち言うけん、お前が合楽参りする自動車ば買うてやろうと約束して下さった。そのお礼のお届けでした、ね。
おかげを頂く人は違います。云うならば、まあ一日なら一日間、一朝の御理解だったでしょうけれども、ね。私がこのおかげの泉の扉ん所に書いとります。これは例えばね、雑誌とか、週刊誌読むようにして読み捨てにしてはなりません。少なくとも十回は読み返してください。と私が書いとります。その方は、もう何十日間を毎日毎日同じ御理解を頂く、繰り返し繰り返し頂いておられる。
%3先達ても大変広大なるおかげを頂かれて、亡くなられた佐田先生の伯父さん、もう九十歳になられます。私が大阪講演に参りました時に、私の話を聞いて下さったのがきっかけでそれ以来合楽に傾倒していかれた。先達て告別式に佐田先生が参りましてあちらの伯母様という方から聞いた話だそうですけれども。もうおかげの泉を送ってくるのが楽しみでたまらん。もう来たらすぐテープに入れる。読んでから、それをいつも聞いておる。
%3どうですか皆さん。毎朝聞きよるるばってん。どげなふうですかね。聞いただけぢゃいかんち、頂かにゃあ。それこそ合楽の話こそ絶対お徳を頂くこつです、ね。だからそれを合楽では合楽理念とこう申します。合楽理念の実験実証を積み重ていく。必ずそういう、そこに焦点を置いての実験実証であったらお徳を受けるでしょうね。
教祖様が、成程嘘は仰っていないということが分かるです。ところがどうですか。もう金光教始まって百年になるけれども、みなお徳を受けたという人はそう沢山はおらん。それこそ数えるだけ。おかげは沢山受けてきました。けれども、なら教祖様は嘘は仰っておるかというとそうではない。その向方が間違っておるのだ、焦点が違っておるのだということになります、ね。
私は今朝から。大正屋という、そのテレビのコマーシャルを神耳に聞きました。謂わば大正屋というのは温泉宿ですから、まあ極楽ですね。お風呂は、入って極楽しげ行くところですから、ね。だからなら今申します大正。もう大きく偉大であり、そして正しい、十全の教えであり、確かに世界を包みまわせるほどしの内容を持っておる金光大神の教えというものをです。どこのどういう所に行っても、いわゆる普遍性に富んでいる教祖のみ教えというものがです。にも拘らず教えがどんなに素晴らしかっても、それを頂いて現わして、結城先生ぢゃないけれど。御自身がおかげを頂いておられるからおかげの頂くこつが分かっておられるのです、ね。
合楽で言われるのは、云うならばお徳を頂くこつなんです。だから実際成程そうだという、云うならばお徳に触れていく信心。どうでしょう大正屋が宣伝しておるように、例えば貧しいホテルか旅館であったとしたら。もう二度と行かんでしょう、ね。そして値段ばっかり高かったちこう云うなら、なお行かんでしょう。所が宣伝以上に素晴らしかったら、次にはまた人を誘うて行くでしょう。
もう七、八年にもなるでしょうかね。この百年祭を目指して、いろんな行事が行なわれた中に、教団挙げての全国未信奉者を対象としての講演会がもたれました。久留米地区でもあの文化ホールでありましたよね。昼と夜と二回。もうだから近所隣の、云うなら信心の無い人までも、謂わば確か中山亀太郎先生と誰かの話でしたね。
その後にです、ほんならそういう云うならばまあ云うなら今日の御理解で言うならば、宣伝をして廻ったんです金光教が。それで話を聞いた人が行ってみたんです。所が話と実際は大違いでそれが実(じつ)が実(み)が上がらなかったと云う発表があっっております、ね。宣伝に偽りがあるということになるのぢゃないでしょうか。
私はこのおかげの泉の扉んところにね、云うならば宣伝に偽りがあってはならないと思うということが書いてあります。私が言うておることを皆さんが本気で実行なさるならば必ずおかげを受けられる、お徳に触れて行けれる。それをなら遠隔地の方達は、そうしてたとえお広前で、ここえ参って来ることが出けなくてもです、同じ御理解を毎日毎日繰り返し擦り切れるようにして聞きましたと、昨日は言うておられました電話で、ね。
合楽のおかげの泉が待ち遠しい。読むだけではない、テープに入れて聞いておる。それで素晴らしいおかげを受けておられるだけではない、お徳を受けると云うことはこんなことだろうなあと。佐田先生の伯父さんが亡くなられる前後のことを聞かせてもろうて、お徳を受けなければそういうお国替えやら、告別式やら出けないという程しのおかげを受けておられます。
だからね、今日の云うなら先生の、まあ結城先生のお話はです、御自身のおかげを頂かられ、そしてそのこつをね。おそらくお話して下さるだろうと思うのです、ね。皆さんが、私が言う本当に金光教の信心こそ十全の信心だというふうに言うことをどこが十全なのか、どこが偉大なる宗教なのか、云うならどこが名教の所以なのかということを本気で皆さんがそれを。
%4昨日は丁度金光青年の方達が先生方が二人ここに特集に見えております。今日まだ居られます。昨日、私の信心の歩みというものを聞かせてくれということであったから。私はそんなら、それはねここから和賀心時代という御本が出てますから。あれは私がある青年教師達に私の云うなら今日までの信心の歩みをずうっとこう話してきてますから、あれを読んで下さい。
%4そして最近合楽で言われる信心、最近合楽で言われる、所謂合楽理念と云ったようなことを聞いて頂きましょうかなあと言うて、簡単に話し出したところがいつかちいうたらもう二時間半話とりなさいますよち。もう信心の話しちゃきりがないですよね。
%4それも最近の私の信心を聞いてもらった、ね。その記事を撮りに見えた人がお話を頂いておると、もう合楽の信心、合楽理念の余すところもないように聞かせて頂いたから、質問することもございませんけれども、一言この事だけと言うて質問なさいましたけれどもね。
だからそれが合楽理念のマスターをしたからと言うて分かっておる、知っておるからと言うてお徳が頂けれるということぢゃないのです、ね。それこそあれもこれもということはいりません。云うならば合楽で言われる成り行きそのものをいよいよ大切に尊ばせてもらう。自然の中に溶け込んでいく手立て、それはいよいよ土の心を身に付けていく以外にない。
天地自然の中に溶け込んでいく天地人一如の世界ね。云うならば、それはいよいよ自然を生かす働きだと云うふうに、ここでは説きますですよね。だから神様を天地を生かすのですから、神様がこっちをまた生かして下さるということになるでしょう。
そういう信心をお互い日々まあ頂いておる訳でございますけれども。今日私は大正屋のコマーシャルを聞いてですね、私は本当に合楽の、合楽し合える世界の前に極楽世界がある。ああおかげを頂いて勿体ないという常に喜びを持続さしてもらう常持ちの世界です、ね。
所謂、大正屋の温泉に入っとるとは極楽でしょう。けども合楽ではその合楽、極楽のもう一つ向こうに合楽の世界がある。合楽世界があるんだと。そこは神も喜び、氏子も喜ぶ神と氏子とが合楽し合える喜びし会えれる交流し合える世界何だ。その手立てがね合楽理念に説かれる。その芯とも思われるのが土の心であったり、いよいよ成行を大切にしていくということなんです。
だからね、それを時々ぢゃなくてそれに徹していくということなんです、ね。必ずお徳の受けられる。云うならば、天地との間の一つのルートが生まれましょう。そこを辿ってお徳が流れてくるでしょう、おかげも勿論それには付いてくることでしょう、ね。一つ金光教の信心はね、とにかく大正屋です。もう世界一に偉大な内容を持っておるのです、ね。
『いつでしたかね、大蒜の世界と頂いた。大蒜というのは大蒜(だいにん)と書いてある。大は大きい、にんというのは大きく示すという字が二つ書いてある。まあ合楽の信心は確かに臭い、大蒜臭い。だから鼻摘みされるところの向きもあるけれども。一度、ならば大蒜を頂いたらもうやめられない、事実美味しいんです、ね。合楽の信心を一度頂いたら、謂わば合楽に傾倒せずにはおられない。そういう内容を持って、大蒜のような内容を持っておる。』
だから、この大蒜の臭いを世界津々浦々にです。所謂、和賀心時代を世界にです広げていこうとする願いを、私共立てておるわけであるし、またそれを願っておるわけです、ね。ですからちょっと大蒜臭いからね。ちょっとこうこう(手を左右に振られる)されますけれども、一度何かの調子で頂いたら、ね 止められん。
大蒜の信心と言われるが大きく示すという字を二つ書いちある。示した上にも示して行けれる。云うならば内容を持っておる金光大神のみ教えであるということを、まず分からしてもらい、そしてそれを実験実証さして頂き。まず自分自身がおかげを頂いてね。あんたが言う通りしたばってん教会へ行ってみたり、それとは違うとったというようなことのないね。
云うなら宣伝が宣伝通りのものでなかったら。なら教団が七、八年前に試みたように全国沢山な金を使うて講演などをしたのだけれども、その結果においては一つも信者が増えるというようなものはなかったと。話を聞いて成程と思った人が、なら近所の教会にお参りをしたけれども。さあ何回か参るだろうけれども、大したことなかったと言うて止めてしまうというのが実情であったという事なんです、ね。
だから、云うなら宣伝とくいちがちゃならない。もう絶対極楽のまいっちょ向こうの合楽世界に住むことが出けるという。云うなら信心こそお徳を受ける。しかも神様は倍力の徳を授けると仰せられる。打ち向かうと言うても焦点。例えば御本部は、ここから東の方へ向かって進んで行かなければなりません、ね。
それを西の方へ西の方へ向かって行ってごらんなさい。鹿児島の方へ行ってしまいます。いよいよ本部は遠うなってきます。というように、自分の謂わば、向きというものが間違いのない所に焦点が置いてあるかどうか。
一生懸命歩いて行きよるけれども、それは反対の方へ向かって歩いておったと、いかにどんなに一生懸命歩いても、それはかえって遠い。本当のこととは遠い事になって来るような感じがね、致します、ね。
ここでは絶対の焦点が示されます。だから、それに向かって進んで行くのですから、自分の心の中にも、成程この生き方で行きゃお徳が受けられるぞというふうにです。それを確認しながら、絶対のものに向かって進んで行けれる。そういう向い方であって、初めて倍力の徳を受けるということが出けるのぢゃないでしょうか。
教祖金光大神が、成程嘘は仰っていないという、実証者足らなければなりません。 どうぞ。